その他の戦前の商船の模型

高千穗丸(たかちほまる)

本船は、それまで中古船をあてていた大阪商船の台湾航路用に建造された中型の優秀船です。昭和9年竣工。総トン数8.154トン。有名な和辻博士の設計で、船客用甲板に傾斜(シアとキャンバー)がなく、歩きやすい船でした。模型を作る際にも、これは助かりました。 太い煙突が際立つ美しい船容の船です。昭和18年3月19日、乗員乗客の救命訓練中、米潜水艦の雷撃を受け沈没しました。 

富士丸(ふじまる)

近海郵船が高千穂丸に対抗して建造した台湾航路向けの新造船で昭和12年に竣工しました。総トン数9,138トン、最高速力19.9ノットの優秀船でした。昭和18年10月27日、米潜水艦の雷撃により奄美大島近海で沈没しました。


長崎丸(ながさきまる)

本船は日本郵船が上海航路用にイギリスのデニー造船所に発注した快速船で大正11年に竣工しました。総トン数5,268トン。スマートなカウンタースターンの船尾、後ろに傾斜したマスト、煙突がバランスよく配置され、とても美しい船容です。さすがにイギリス製だけのことはあります。昭和17年5月長崎港外で味方機雷に触れ沈没しました。

長城丸(ちょうじょうまる)

大阪商船の天津航路用に昭和2年に竣工しました。総トン数2,594トンでかわいい大きさです。前後にある門型ポストが珍しくて製作しました。昭和19年2月16日、米潜水艦の雷撃により沈没しました。

照國丸(てるくにまる)

日本郵船の欧州航路用として昭和5年に竣工した貨客船。総トン数11,931トン、全長160.5メートル。欧州で第2次大戦が勃発後も船体に日の丸を描き、定期航路に就いていましたが、昭和14年11月21日、英国東岸沖で機雷に触れ、乗客、乗員は全員無事でしたが沈没してしまいました。日本が第2次世界大戦で失った最初の船です。デザインはバランスはとれていると思いますが、なんとなく垢ぬけしない形です。

平安丸(へいあんまる)

日本郵船のシアトル航路用に昭和5年に竣工した貨客船で、現在横浜港で保存されている有名な氷川丸の姉妹船です。総トン数11,615トン、全長163.3メートル。船橋の堂々たる雰囲気は見事ですが、デリックポストの数が多く、模型製作時にはうんざりしたことを覚えています。

昭和19年2月17日の米艦載機によるトラック島大空襲により沈没しました。

 

淡路山丸(あわじさんまる)

総トン数9,794トン、重量トン数10,930トン、垂線間長145.1メートル、昭和14年竣工。三井物産船舶部所属のニューヨーク航路船として建造されましたが、戦争のため予定航路についたのはわずかで、すぐ軍に徴用されてしまいました。戦時には軍隊輸送船として使うためか、貨物船なのに船倉外板に舷窓があります。また、船橋楼のハウスが一部5階建てになっていて、旅客用のサロンがある「豪華貨物船」でした。このためハウス部分の構造が複雑で模型化するのにやりがいがありました。 なお、三井物産船舶部のニューヨーク航路船は船名の頭文字が「あ」に統一されていました。

太平洋戦争劈頭のマレー半島コタバル上陸作戦に従事中、連合軍の攻撃により昭和16年12月12日に沈没し、太平洋戦争喪失船第1号となってしまいました。

音羽山丸(おとわさんまる)

三井物産船舶部所属の石油タンカーで、昭和11年竣工、総トン数9,205トン、重量トン数12,061トン、垂線間長148.7メートル。北米西岸からの原油輸送に従事。前部の貨物艙には輸出用のシルクルームがありました。なお、三井物産船舶部ではタンカーの船名の頭文字には、オイルの「お」を付けていました。

昭和19年12月22日、ガソリン12,000トンを輸送中、米潜水艦の雷撃を受け一瞬にして大爆発、巨大な火の玉となり壮絶な最期を遂げました。

報國丸(ほうこくまる)

大阪商船のアフリカ航路用の貨客船として昭和15年竣工。総トン数10,438トン、全長160.8メートル。竣工翌年海軍に徴用され、特設巡洋艦となりましたが、昭和17年11月、不運にも戦没し、短いはかない生涯を終えました。

和辻博士の設計で、門型ポストが少しいかついですが、ハウスは曲線をいろいろと取り入れ、美しい外観の船でした。

パラオ丸(ぱらおまる)

日本郵船の南洋航路用に昭和9年竣工。総トン数4,495トン、全長116メートル。

側面から見ると救命ボートの搭載位置が上下にずれていて、外観的には難があると思うのですが、いかがですか。

昭和17年8月5日、米潜水艦の雷撃により沈没しました。

平洋丸(へいようまる)

日本郵船の南米西岸航路用として昭和5年に竣工しました。総トン数9,816トン、全長146.9メートル。日本郵船の遠洋航路船には神社の名前を付けることが多いのですが、南米西岸航路はもともと東洋汽船の航路でした。東洋汽船は船名に「洋」を付けており、この慣例を踏襲した形になっています。ローシルエットでバランスのとれた船容ですが、煙突脇のキセル形通風筒が二引マークを隠してしまい邪魔です。

昭和18年1月17日米潜水艦の雷撃により沈没しました。

長春丸(ちょうしゅんまる)

満鉄の子会社である大連汽船所属の中型貨客船で昭和5年に竣工しました。総トン数4,026トン、全長114.5メートル。航路が大連ー青島ー上海と、内地を通らないので、一般にはなじみのない船ですが、後ろに傾斜したマストと煙突がスマートです。なお2番目の煙突はダミーで煙は出ません。

昭和19年10月18日、米軍の空爆により沈没しました。

なお、大連汽船のファンネルマークは橙色にトップが黒が正しく、写真の赤色は間違いです。失礼しました。

さんとす丸

さんとす丸(さんとすまる)
大阪商船の南米東岸航路用に建造された貨客船で大正14年に竣工しました。総トン数7,267トン、全長137メートル。遠洋航路用としては日本初のディーゼル機関船で、またジャイロコンパスによる自動操舵装置を備えるなど造船業界では有名な船だそうです。

しかし、背の高い細い煙突は、どう見てもボイラーで蒸気を作り、クランクを動かすレシプロ船に見えます。とてもディーゼル船には見えません。また、煙突が後ろ寄りに配置されていて、グッドプロポーションとは言えないと思いますが、いかがでしょうか

一方、一般配置図を見るとディーゼルなのでボイラー室は必要なく、機関室はコンパクトになり、3番船倉は船体の中央部に広大な広さを取ることができ、貨物を沢山積めることがわかります。船会社としてはいい船であったと考えます。模型を作るといろいろなことがわかり、楽しいです。

昭和19年11月25日、米潜水艦の雷撃により沈没しました。

もんてびでお丸(もんてびでおまる)
さんとす丸の姉妹船で昭和2年に竣工しました。さんとす丸との識別点は、2番船艙の荷役に使うデリックブームの格納位置が、さんとす丸では船橋前面のデリックポストの外舷側なのに対して、もんてびでお丸では中心線に沿った位置になっていることです。昭和17年6月22日、米潜水艦の雷撃により沈没しました。

 

山水丸(さんすいまる)
昭和9年に竣工した摂陽商船の小型客船です。総トン数812トン。大阪・神戸と徳島県の小松島港を結ぶ航路に就航しました。観光色の強い船であることから、模型には船客を配しています。柳原良平氏の「船の模型の作り方」に載っており、高校生のときに僚船の徳島丸とともに初めて作った模型船でした。したがって今回が2回目の模型です。白い船体に黄土色の煙突が似合っています。

 

天洋丸(てんようまる)

東洋汽船がサンフランシスコ航路用に建造し、明治41年4月22日に竣工した日本客船史上空前絶後の豪華客船です。当時の日本の商船は8,000トン、6,000トンクラスが最大だった時代に、一気に総トン数13,454トンという大きさや、重油焚きボイラー、タービン機関の採用など、大西洋の表舞台に出しても胸を張れる内容の船でした。全長175.3メートル、幅19.2メートルというスリムな船型で最高速力20.6ノットの快速を出しました。その後、大正15年に東洋汽船から航路まるごと日本郵船に譲渡され、ファンネルマークも郵船の「二引」に変わりました。そして新造船淺間丸クラスに航路を引き継ぎ、昭和8年6月6日売却、解体されました。つまり本船は淺間丸クラスの先輩格なのです。同型船は地洋丸、春洋丸。東洋汽船所属船の船名は、○洋丸というように、終わりに洋の字が付くのが特徴です。

橿原丸(かしはらまる)完成予想模型

「橿原丸」と姉妹船の「出雲丸」は、昭和15年に開催予定であった東京オピンピックのためのサンフランシスコ航路用のオリンピックボートとして建造が開始されました。完成の暁には淺間丸クラスの代替船になるはずでした。ところがこの両姉妹建造にあたっては、有事の際には航空母艦に改造することが予定されており、政府から多額の助成金のもとに作られました。このため、起工後、世界情勢が風雲急を告げる情勢になり対米戦不可避となったため、両姉妹とも建造中政府に買い上げられ、航空母艦として竣工しました。橿原丸は空母「隼鷹」(じゅんよう)、出雲丸は「飛鷹」(ひよう)となりました。したがって幻の豪華客船です。

資料としては、残された大雑把な図面といいかげんな完成予想図だけしかなく、模型を製作するにあたっては不明な箇所も多くあり、作者の勝手な推測で作った部分もあります。

箱根丸(はこねまる)
 日本郵船の欧州航路のため作られた4姉妹の長女で1921年に竣工しました。典型的な三島型貨客船ですが、作ってみると意外にハウス部分が大きくて、船客用のスペースも多いことがわかりました。総トン数10,420トン、全長158.5メートル、この航路初のタービン船です。1943年11月27日、米軍の空爆で沈没しましたが犠牲者はゼロでした。

 

 

宝運丸(ほううんまる)

この縁起のよい船名の貨物船は、東邦汽船所属で昭和15年に竣工した国内航路専門の船です。総トン数1,917トン、重量トン数2,858トンと、重量トンのほうが大きい貨物船らしい船です。船尾機関で、長尺もの(たとえば国鉄の長さ25メートルの線路)が運べるので大変使いやすい船型のため、同じような形の貨物船が大量に建造されました。これらの船も戦争のため、多くが徴用され、日本が占領したアジア地域間の輸送などにあたりました。そして他の日本船と同様に本船も昭和18年5月に撃沈され、短い生涯を終えました。 

浄寶縷丸(じょほーるまる)

難しい漢字の船名の由来はマレー半島の地名です。石原産業海運のインドネシア航路(日本ーシンガポールージャワ)用に昭和7年に竣工しました。総トン数6,181トン、全長130.3メートルです。三島型、カウンタースターンの典型的な昔の船の形をしています。昭和18年10月に戦禍喪失。

豊岡丸(とよおかまる)

頭文字がTで始まる、日本郵船のT型貨物船です。総トン数7,375トン、全長445フィート、幅58フィート、大正4年3月6日竣工。T型貨物船の評価は高く同型船が11隻もありました。昭和19年9月、米潜水艦の雷撃により沈没しました。

 

徳島丸(とくしままる)

摂陽商船の阪神ー徳島航路に就航していた船です。山水丸の妹にあたります。総トン数407トン、垂線間長46メートル、昭和10年竣工。戦争を生き延び、昭和40年解体されました。

常陸丸(ひたちまる)

日本郵船の欧州航路用に建造され、明治31年8月16日に竣工した貨客船。総トン数6,172トン、全長445フィート。他の姉妹船が英国で建造されたのに対して、本船のみ三菱長崎造船所で建造されました。日露戦争では陸軍に徴用され輸送任務に服しましたが、明治37年6月15日玄界灘において僚船佐渡丸とともにロシア海軍の巡洋艦ロシア、グロムボイ、リューリックの攻撃を受け、本船は沈没、佐渡丸は大破という損害を受けました。本船には将兵が便乗中で、将兵963名、船長ジョン・キャムベル以下乗員132名等合計1,000名以上が殉職するという悲劇となりました。

なお、常陸丸という船名は、日露戦争後に建造された欧州航路船に引き継がれましたが、その2代目常陸丸も第1次大戦中、ドイツ軍の仮装巡洋艦により撃沈され、2代に亘る悲劇の船名になりました。

吉林丸(きつりんまる)

大阪商船の大連航路船として昭和10年に竣工しました。総トン数6,783トン、全長136m、速力18.6ノット。

船体中央部分には舷弧(シア。船首から船尾にかけて甲板がゆるやかにカーブしていること)と梁矢(キャンバー。甲板が中心部から両側舷側にかけて下方にカーブしていること)がなく、床が水平で船客には好評でした。これはまた模型を作る際にも楽です。

中央の3段のデッキのうち、上段の全部と中段の前半分が1等用の設備、中段の後ろ半分と下段の全部が2等用の設備、そして船体内に3等の設備がありました。

戦争に生き残るかと思いきや、昭和20年5月11日、神戸港の和田岬沖で機雷に触れその場で着底し、のちに解体されました。

神戸丸(こうべまる)

東亜海運の上海航路船として昭和15年10月19日に竣工しました。総トン数7,938トン、全長138.5メートル、速力21.6ノット。長崎丸、上海丸のランニングメイトです。

昭和17年11月11日、東シナ海で日本郵船の貨物船天山丸と衝突し、はかない短い生涯を終えました。

 

鴨緑丸(おうりょくまる)

大阪商船の大連航路船として昭和12年に竣工しました。総トン数7,363トン、全長138メートル、速力18.6ノット。吉林丸クラスの拡大改良型で、ローシルエットの美しい船容です。

昭和19年12月15日、米艦載機の攻撃により沈没。

氷川丸(ひかわまる)

日本郵船の北米シアトル航路船として昭和5年に竣工しました。総トン数11,622トン、全長163.3メートル、速力18.2ノット。戦争中は海軍病院船として徴用され、戦争を生き残り、戦後もシアトル航路に復帰しましたが昭和36年に引退、以降横浜港で保存されていることは皆さまご承知のとおりです。

高砂丸(たかさごまる)

大阪商船の台湾航路用に作られました。高千穂丸の拡大改良型です。昭和12年竣工。総トン数9,315トン、全長150.1メートル、最高速力20.2ノット。氷川丸と同じく戦争中は病院船となり戦争を生きのび、戦後は引揚げ船として活躍したのち解体されました。

NORMANDIE(のるまんでぃ)

申すまでもなく、フレンチラインが1935年に完成させた北大西洋横断航路用の高速豪華客船です。この模型は作者が学生時代に製作したもので 長さが150センチもあります。よくも30年以上残ったと思います。完成時には遊歩甲板の公室には豆電球が仕込んであり、スイッチを入れると照明が付きました。したがって1等ラウンジや喫煙室などにはテーブルとイスが並んでいるところが見えるという趣向でしたが、いまはもう豆電球も切れてしまいました。